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リレイ嬢の庭


 つい先日の事。夢枕にとある女性が立ちまして。
 女性と言っても姿や声など全く見えず、ふわふわとした気配のような物でしたが、私には妙齢の美女であると確信を持って認識しました。

 その女性はこちらが落ち着くのを待った後、長々と胡散臭い話を始めます。

 とても馬鹿馬鹿しい話でしたが、何故だかその時の私は何の疑いもせず素直に聞き、それを覚え、こうやって文面にして残す事にしました。

 話を聞いたと言っても声は聞こえず、そう聞こえた気がしたと言う危うい物であるため、私の語彙不足による表現の稚拙や誤った書き方が有ると思いますがどうかご容赦願いたく存じます。



◆◆◆



  オアザンコヤマと言う所があります。

 そこは抜けるような青空とひび割れた大地が広がり、見渡せども見渡せども見えるは地平線。
 春を思わせるような気候にひんやりとした空気と風が心地良い。
 美しく明るい青空はあるものの太陽は見当たらない。
 地平線はあるもののどれだけ進んでも地の果てには辿り着かない。
 地球のように球形ならば進んでる内に出発点に戻ってまいりますがそうではありません。
 この大地は球形ではなく、ただただ無限に広いのであります。

 この無限に広いオアザンコヤマには無数の水の球が浮いております。

 大きさは様々なものですが、だいたい大人の身長の倍くらいの大きさでしょう。
 この大きさの水の球が重力を無視してフワリフワリと空中に浮いているのであります。
 密集して浮いている所もあれば、疎らに浮いている所もあり、規則性はありません。

 この水の球はルゥミマユと申します。

 ルゥミマユの水は常に中で流動しており、その流動はまるで生き物のようであります。
 それもそのはず。
 これは実際に生命なのでございます。
 この流動の一つ一つが生命であり物質であり精神であり科学であり非科学なのです。

 このルゥミマユに触れた者は一滴の雫となって、ルゥミマユに混ざります。
 傍から見ると触れた者は一滴の雫になりルゥミマユに溶け込んで行くように見えますが、混ざり行く者の主観からすると目の前にどんどんと世界が広がって行くように見えるのです。

 一時的に全感覚を失い真っ暗になり、ふと気が付くと大空を飛んでおります。
 自身は存在しておらず何か霊にでもなったような感じでありましょう。
 ビュウビュウと風を切る音を感じつつ大空から地上へとなだらかな速度で落下して行き、落下中に身体が存在を少しずつ取り戻していく。地面に降り立つ頃にはすっかり自分の姿や感覚が有る。
 と、言った具合でしょうか。

 そこがどんな世界なのかはルゥミマユによって違います。
 オアザンコヤマに浮かぶ無数のルゥミマユ。これはそう。このルゥミマユとはどれもが世界なのです。
 一つのルゥミマユから別のルゥミマユを見た時、それは「異世界」と呼ばれるものになるでしょう。
 科学晩成の世界のルゥミマユもあれば魔法の世界のルゥミマユもある。
 人が悩まない所もあれば、悩んでばっかりの世界もあります。

 ルゥミマユの世界がどのような形になるかはそのルゥミマユを「構築する者」の意志に委ねられます。
 例えばその世界の全ての生命が切磋琢磨し、己を高めて行くようにと構築すれば、その世界は常に希望と絶望が入り混じる世界になります。
 ただただ幸せな世界を思って構築すれば、毎日安穏とした生活が続き、その安穏とした生活に疑問一つ抱かず争いも何も無い世界が出来るでしょう。

 ルゥミマユは永遠の存在では無く、いずれは消滅する運命にあります。
 消滅の理由は様々なもので何が原因かは分かりません。
 何億年、何兆年と存在するルゥミマユもあれば数年で消えるルゥミマユもあります。
 存在の年月は様々でありますが、どのルゥミマユも等しくいつかは消滅します。
 消え方に法則はありませんし、生まれ方にも法則がありません。
 どんどんとルゥミマユが生まれ、ルゥミマユの数が爆発的に増える事もあれば、急激に消滅して数える程になってしまう事もあります。
 このルゥミマユの数は「産む者」次第であります。

 産む者は一人しか居ないと言う話もあれば無数に居ると言う話もあります。
 正しい事は分かっておりませんが、産む者が居ると言う事だけは確かなようです。

 産む者はルゥミマユを産み、ルゥミマユの中の構築は構築する者に委ねられます。
 ルゥミマユの世界を構築する者はルゥミマユに対して一人の場合もございますが、大抵は一つのルゥミマユに対して複数の構築する者で構築されております。

 このルゥミマユを産む者を「創造主」。
 世界を構築する者を「神」または「精霊」と呼びましょうか。



 とある日の事。
 一つのルゥミマユが消滅しました。
 消滅の原因は分かりません。
 分かる事は望んだ消滅やルゥミマユの寿命の消滅では無かったと言う事です。
 そして通常であればルゥミマユの消滅と運命を共にする世界を構築する者達、つまり精霊達が消滅せずに命辛々オアザンコヤマへと脱出したと言う事です。

 精霊達はルゥミマユが必要でございました。
 精霊達はルゥミマユを構築する事が存在意義であり、構築できなければ後は消滅するだけでありますから。

 この度のルゥミマユの消滅は精霊達にとっては到底納得行くものではありませんでした。
 是が非でも、もう一度やり直したい。その一心でありました。

 しかし精霊達は産む者ではないのでルゥミマユは産めません。
 また、他のルゥミマユはそれぞれに別の精霊が居りまして、自分達が入りこむ余地なぞありませんでした。
 産む者は構築する者よりも上位の世界に居るとされており、構築する者である精霊は産む者を見る事も触れる事も言葉を交わすこともできません。
 新しいルゥミマユを産んでもらいたくともできません。

 精霊の身体、その存在が消滅する前に自分のルゥミマユを手に入れてしまわねば、いずれ精霊は力を失い消滅してしまいます。
 必死に精霊達は彷徨い続けました。
 無駄だと分かっておりましたがそれでもなお彷徨い続けました。



 どれだけ彷徨ったでしょうか?
 精霊達は一つのルゥミマユに辿り着きました。

 そのルゥミマユからは何故だか構築する者である精霊の気配がありません。
 精霊達は不思議に思いました。
 ルゥミマユと構築する者である精霊は必ず対となっており、どちらかだけで在り得るものではありません。
 故に精霊達は彷徨う事が無駄であると認識しておりましたし、彷徨っているのは半ば意地のようなもので消滅を覚悟していたのです。

 それがどうした事でしょうか?
 目の前のルゥミマユからは構築する者の気配を感じません。
 ほんの少しだけ逡巡しましたが、この精霊達に選択の余地などありません。
 特になんの調べもせずに精霊達はルゥミマユに飛び込みました。

 飛び込んでみて驚きました。
 そのルゥミマユの世界は真っ暗で何もない。

 何もないのならばそのままこのルゥミマユを構築してしまえば良かったのですが、何故だか精霊達は何かを探しルゥミマユの中を彷徨いました。
 何を探したかったのかは分かりません。しかし何かを探さねばならない気がしたのです。

 長い事右往左往していると、一人の少女が居る事に精霊達は気が付きました。
 いえ。最初から居たような気もします。
 少女は物憂げな顔で精霊達を見ていました。



 精霊達の長、ミドアが少女に少女の事とこのルゥミマユの事について問いました。
 少女は自分の名をミューリレイと名乗りました。
 ミューリレイで一つの名なのか、ミュー・リレイなのかは分かりません。
 どちらでも正しいような気がします。
 それ以上の事は皆目わからないとの事でした。

 精霊達は何故かそれ以上の情報を必要と感じませんでした。
 また何故かはわかりませんが精霊達はミューリレイにこのルゥミマユを貸して欲しいと頼みました。
 ミューリレイがこのルゥミマユの構築する者かどうかは不明で、また、このルゥミマユの所有者であるかどうかも不明でありましたが、何故だか精霊達はミューリレイの許可が必要と感じてしまったのです。

 ミューリレイはその問いの対し「ミューリレイ本人に危害が無いのであれば差し上げても良い」と返答しました。
 精霊達は大いに喜びました。

 早速、精霊達はこのルゥミマユを「カゥシ・ラバ・リレイ」と名付けて構築を開始しました。
 「カゥシ・ラバ・リレイ」意味は「リレイ嬢の庭」だそうです。



 精霊達の長であるミドアは長としては良い者でありましたが、もしもミドアのような友人が居たら苦労すると思います。
 ぐいぐいと引っ張ってくれる力があるものの、我儘な面があり、また、自分の我儘が通らないと不貞腐れる面もありました。
 責任感や自己犠牲の精神があるものの、不貞腐れると幼児のように手に負えない。
 長の位置におさまってるからこそ存在が成立する精霊でありました。

 そんなミドアを上手く宥めて気持ちを落ち着かせたりと調整しているのがキャメと言う精霊であります。
 実に頼れる賢人であり、冷静沈着、穏やかで人柄も存在感もあります。
 しかしながら次席を好む傾向にあり、些細な事でも長になる事を嫌がりました。
 責任を取る事は別段苦痛に思って無いようなので、責任から逃れてる訳では無いようですが、頑なに長になるのを嫌がり次席を好みました。
 理由は誰も分かりませんでした。

 消滅したルゥミマユから逃れ、このルゥミマユに辿り着いたのはこの二名の他に六名。
 合わせて八名の精霊でした。
 後に主精霊八柱と呼ばれるようになる事となる八名であります。

 このルゥミマユで世界を構築するに当たって主精霊八柱はそれぞれが十一名ずつ手足となる臣下の精霊を生み出しました。
 八名の精霊が十一名ずつ生み出したので八十八名の臣下の精霊が生まれた事になります。
 この八十八名の精霊達は後に臣精霊八十八柱と呼ばれるようになります。

 臣精霊八十八柱も自分の都合に合わせて臣下の精霊を生み、その臣下の精霊も自分の都合に合わせて臣下の精霊を生みました。

 上位の精霊が下位の精霊を無尽蔵に生み出し、総数は数えきれないほどとなりました。



 ミドアは以前のルゥミマユは不本意な形で消滅したので、今度こそは上手く行かせたいと願って止みませんでした。

 そんなミドアの様子から、ふと、ミューリレイが何故消滅したのかと問いました。

 主精霊八柱は答えてはくれませんでした。
 主精霊八柱の一柱にして長の「統治と裏切りの精霊ミドア」は眉間に皺を寄せました。
 主精霊八柱の一柱にして次席の「始まりと終わりの精霊キャメ」は苦笑いを浮かべました。
 主精霊八柱の一柱「躍進と混沌の精霊ヒィ」は涙を薄っすらと浮かべました。
 主精霊八柱の一柱「諧謔と憂鬱の精霊カキ」は背を向けて黙ってしまいました。
 主精霊八柱の一柱「安定と堕落の精霊マータ」は目を瞑り息を止めました。
 主精霊八柱の一柱「踊りと狂気の精霊カン」は暗い笑みを浮かべました。
 主精霊八柱の一柱「美貌と傲慢の精霊フゥ」は無表情にそっぽを向いてしまいました。
 主精霊八柱の一柱「契約と私欲の精霊ロイ」は何か言おうとして止めました。

 それ以来ミューリレイはこの質問をする事はありませんでした。



◆◆◆



 長い長い時を経て、このルゥミマユに遂に人類が発生しました。
 どこのルゥミマユでもそうなのですが構築する者は必ず人類を発生させ、ルゥミマユ構築の為に人々を導いております。

 臣下の精霊を瞬時に生み出していた精霊が人類を発生させるのに随分と時間がかかるものだとミューリレイは不思議に思いました。
 それに対して統治と裏切りの精霊ミドアは人類はルゥミマユに含まれるものなので人類は「産む者」が誕生させていると答えました。

 契約と私欲の精霊ロイが次のように付け加えました。
 子が母の胎内で産まれる時、子の中に心臓が必ず出来る。
 この心臓を発生、鼓動させるのが構築する者で、子がルゥミマユで母が産む者であると思えば良い。
 少し事実とは違いがあるが大まかにはそれで良い。

 また、始まりと終わりの精霊キャメがこう言います。
 自分に都合の良い者が欲しければ臣下の精霊を生み出した時のように生み出せば良いが、それは「構築する者」側の物であり、ルゥミマユが本当に「生きている」とする為にはルゥミマユの一部である人類を、構築する者が導かねばならない。
 導き方は各ルゥミマユでそれぞれ違う。

 ミューリレイはなんとなく理解したと言います。



 精霊は宗教と言う物を作り、人の世の各地にばら撒きました。

 不思議そうにするミューリレイに統治と裏切りの精霊ミドアはこう言いました。
 これは必要なものである。
 人は宗教を自分のモラルや存在意義として心に秘めるのだから。

 ミューリレイ良く理解はできませんでしたが、とりあえずは必要なのだなと思いました。

 精霊が人の世の各地にばら撒いている宗教は、それぞれ雰囲気や教えてる事がばらばらです。
 こっちの宗教では人以外は何でも食べて良い、
 あっちの宗教は特定の動物は食べては駄目、
 そっちの宗教は食人行為は神聖な儀式。

 親愛の印に頭を撫でる宗教もあれば頭に触れるのは最大の侮辱と言う宗教もありました。
 似たり寄ったりの部分もあれば正反対の部分もありました。

 違う考え方の宗教が触れ合うと、たちまち争いです。

 宗教に絡んだ人と人の争いはそれはもう酷いものでした。
 自分の「神」こそ本物であると言い、他の宗教は「悪魔」として陰惨な弾圧が行われました。
 そこに思考と言うものは存在せず、ただただ惨いものでした。

 せめてもの救いはどの宗教も本当に「神」が作った「本物」と言う事でしょう。

 宗教同士の争いに勝利し、規模が大きくなった宗教を精霊はなんらかの「調整」をして分裂や腐敗をさせ、ある程度の規模におさえ、一つの宗教が世界を統一する事をさせませんでした。

 いつまでもいつまでも宗教は対立して争いを続けています。



 とある地域に「ジーク」と言う国ができました。
 とても善良な国で為政者も国民も真っ直ぐに生き、心根も素晴らしいものでした。

 それをみた統治と裏切りの精霊ミドアはなんらかの「調整」をしました。

 そうするとたちまちジークは貧困に陥りました。
 他国へ援助を求めますが何故か他国は冷遇するばかり。
 特にタウーグと言う国との仲が不自然な程に悪くなって行きました。

 ジークとタウーグは数年前までは親友と呼べる程に仲の良い国同士でしたが、急に意志の疎通が悪くなり、あちらこちらで誤解や語弊が生じ、とうとう戦争になってしまいました。

 ジークは何故か重要な所で必ず負け、タウーグに占領されてしまいます。

 ジークは「自分達は間違っていた」と「反省」し、それまでの自分の在り方を「間違い」として捨てる事にしました。

 ジークは利益ばかりを貪る国となりました。
 根が真面目であるジークの人達は一生懸命働きました。
 そのお陰で貧困はなくなり、とても豊かな国になりました。
 ジークがある程度大きくなると、また精霊が「調整」して分裂や腐敗をさせました。
 国中に嫉妬と欺瞞が溢れ、他人を蹴落として自分が幸せになる。
 それが当たり前となっていました。

 ミューリレイは前のジークの方が好きだったな。と、思いました。

 こんな「調整」が様々な国で常に行われる為、それぞれの国がある程度の規模におさえられ、一つの国が世界を統一する事はありませんでした。

 いつまでもいつまでも国々は対立して争いを続けています。
 そして人々も、いつまでもいつまでも対立して争いを続けています。



 精霊は常に「人々の価値観の変換」と言うものを行っております。

 例えば「肉体的に力が上の者が格上」と言う価値観だったのを「肉体的では無く精神的に力のある者の方が格上」と言う価値観に「変換」するという感じでしょうか。

 どの価値観をどのように変換するか、いきなり変換するか、何年も掛けて変換するか、それは分かりません。
 しかし精霊は「人々を育てる為」と言う事で価値観を変換します。

 人の世を攪拌する。

 いきなり変換する事も確かにありますが大体において変換は時間を掛けて少しずつ行われます。
 その方が人がよく「悩む」からだそうです。

 何故、そこまでして人々を悩ませるのか?
 ミューリレイは問いました。

 その方が人々が育つからだと、安定と堕落の精霊マータが答えました。

 何故、人々を育てているのか?
 ミューリレイは問いました。

 育った人々が必要だからだと、マータが答えました。
 育った人々の魂は構築する者と共に世を構築する。と、諧謔と憂鬱の精霊カキが付け加えました。

 何故、必要なの?
 ミューリレイは問いました。

 構築の為である。
 それ以上に理由は無い。
 と、カキが答えました。

 ミューリレイはこれ以上の問いは無駄と感じ取り質問を止めました。

 今日も人々は悩み続ける。
 どんなに頑張っても頑張っても完璧な安心は無く、
 どれほど安定する世にしてもいずれは瓦解する。

 ミューリレイは何かを感じましたが、それが何であるかはわかりませんでした。



◆◆◆



 人は男女に性別が分かれております。

 人以外の動物も雄と雌に分かれておりますが、それとは違います。
 雄と雌では無くて男と女に分かれているのです。

 精霊が言うにはこのように分ける事によって、さらに人は悩むそうです。
 男は女を理解し辛く、女は男を理解し辛い。
 人にとって最も苦痛とされるのは「理解されない事」。
 それ故にようやく理解する頃には相当の苦労と経験を積んでいる事でしょう。

 精霊には性別が無く、容姿もハッキリと定まっておりません。
 統治と裏切りの精霊ミドアを髭面の大男だと思えばそう見えるし、絶世の美女だと思えばそうとも見えます。
 ミューリレイはぼんやりとですが統治と裏切りの精霊ミドアや契約と私欲の精霊ロイを男と感じましたし、安定と堕落の精霊マータや美貌と傲慢の精霊フゥを女と感じました。
 しかし本当の性別は分かっておりません。

 契約と私欲の精霊ロイが言うには人を男女に分けてしまう事が人を悩ませる上で最も手っ取り早い方法なのだそうです。
 男女に分けるだけで精霊が手を加えずとも勝手に悩んでくれる。
 容姿、年齢、在り方。全ての事柄に性別は影響し、性別と言う起点で何千何万通りの悩みが発生する。
 そこには達成感もあれば挫折感もあり、希望もあれば絶望もある。
 男女に分けるだけでそれだけの経験が期待できるのです。
 こんなに都合の良い事がありましょうか?

 ロイが得意げにそう言うとミューリレイはやはり胸に何かが痞えた気がしました。
 そんな気持ちを知られるのを何故か良く無いと思い、誤魔化すようにミューリレイは私はどうして性別があるの? っと質問しました。

 そんなミューリレイの態度や質問を見たロイは何かを思いついたような顔をしました。
 気が付いたような顔でもあり、探してた物をようやく見つけたような顔でもありました。

 ロイはミューリレイにミューリレイが性別のある理由はわからない、と答えました。



 ミューリレイに話し相手をつけてあげよう。

 ロイがそう言うと手のひらにおさまる程度の大きさの愛らしい女の子をミューリレイに差し出しました。
 ふわふわと宙を浮かびながらミューリレイに軽く会釈をし、ミューリレイの傍に寄りました。
 この女の子の名はコロトトと言うそうです。

 ロイは統治と裏切りの精霊ミドアや始まりと終わりの精霊キャメにコロトトの存在が知れても構わないが、調べさせてはいけないと言いました。
 ミューリレイは素直にそれを受け入れました。

 コロトトは平身低頭する下僕では無く、どちらかと言うと友に近い感覚でありました。
 友と言っても何でも譲ってくれる都合の良い友では無く、時に叱り、時にからかってくるそんな感じの友でした。



 とある日の事、コロトトはこんな話をしました。

 レヨトゥと言う食べ物があり、人の世ではそれはそれは高価な食べ物で、貧乏な人は一生食べる事ができなければ見る事も出来ないものでした。
 ある富豪同士の集まりで、自分がいかに富んでいるかを自慢し合う場面がありました。
 その時、とある大富豪の夫人が月に一度はレヨトゥを食べていると言って周囲を驚かせました。
 夫人は月に一度レヨトゥを食べられる事に誇りと幸せを確実に感じていました。
 レヨトゥにはそれほどの力がありました。

 時は流れ、人々はレヨトゥを大量生産することが可能になりました。
 今では安価でどこにでも手に入ります。
 しかも過去と比べて品質もかなり上がっており、このレヨトゥを昔に運べば最も優れたレヨトゥと呼ばれていたでしょう。

 しかし、この時代の人々はレヨトゥを食べる事に誇りと幸せを感じるのでしょうか?

 ミューリレイは直ぐに答えが浮かんだ気がしましたが、どの言葉でも適切では無い気がして、答えられませんでした。
 そこに諧謔と憂鬱の精霊カキが人の悩みの全ての根源は誰かと比べる事から始まるからね、っと、本気とも冗談とも取れる言い方でミューリレイに聞こえるように呟きました。



 とある時代の時の事。
 統治と裏切りの精霊ミドアは世界の構築の為に、とある形の魂が必要になりました。
 それ故に一人の人を必要な形に導く事にしました。
 その人の名はフェナスと言いました。

 フェナスの両親はフェナスを産んでから直ぐに死んでしまいました。
 精霊が必要な魂の形にする為に両親を絶命させたのです。

 フェナスの両親は何も悪い事はしてはいません。むしろ今まで真面目に散々苦労しながらここまで生きて来ました。
 しかしミドアが必要な形の魂があるから、それの形にする為と言って絶命させたのです。

 そこからのフェナスの人生は本当に苦労に耐えないものでした。
 両親を失った為に親類の家に預けられるも邪険にされ、年齢が十歳に達した時には奴隷のような肉体労働を架せられました。

 フェナスが十五歳になった時に軍へと売り飛ばされました。
 親類は邪魔者を追っ払っらえた上に金銭も入って大喜びでした。
 そんな姿を見たフェナスは何を思ったでしょうか?

 フェナスは数多の戦線で沢山の人の死を見ました。
 精霊がフェナスを育てる為に意図して見せたのです。
 つまりは人々を精霊が死に追いやった訳でもあります。
 これまで頑張って生きてきた者たちもこんな理由で死んだとは思っていないでしょう。
 実に哀れです。

 眉を顰めるミューリレイにコロトトは貧しい国の民が飢えと病気で意味も無く死ぬのは、その死を持って誰か別の人を育てているからだと言いました。
 育てている人がその時代の人物とは限りません。
 それから一〇〇年後、二〇〇年後の誰かが死んだ人たちの事を知って育つと言う事もあるそうです。

 さて。フェナスは苦労に苦労を重ね、沢山の人と出会い、愛を知り、様々な苦労を乗り越えて幸せな家庭を築く事に成功しました。
 ここまで来るのに本当に色々とありました。

 この幸せな家庭を築くまでに最愛の子を失った事もあります。
 フェナスの子が暴漢に襲われて死にました。
 フェナスは大いに悲しみ自暴自棄になり周りと争ったりもしました。

 もちろんこれもフェナスを育てる為にフェナスの子を精霊が殺したのです。
 フェナスを育てる為だけにこの世に生を受けフェナスを育てる為だけに殺される。
 この子の人生は一体なんだったのでしょうか?

 そんな悲しい別れも乗り越え、誰が見ても幸せな家庭を持ちました。

 ミューリレイはフェナスが幸せな家庭を築いた事に感動しました。
 ミューリレイが本当の意味で心を振るわせたのはこれが初めてかもしれません。

 それから数十年。

 フェナスは人の痛みを知る民に優しい政治家になり、いろいろな問題を解決しました。
 最後は多くの人々に見守れながら死にました。
 フェナスは幸せな人生だったと言い残したそうです。

 フェナスの魂が構築する者の所へ運ばれた時、フェナスは神の家臣になれたと大喜びでした。

 フェナスは精霊の家臣になれた事を大喜びしてるのです。
 ミューリレイはフェナスを何故か直視する事ができませんでした。



 コロトトはこう言いました。

 フェナスのように精霊に選ばれた人を「ノージ」と呼び、
 ノージの考えを熟成させるために用意される人を「ギンブ」と呼び、
 その他を「ワンカタ」と呼ぶと。

 ノージ。それは精霊に選ばれた人。
 選ばれた人と言うと人は喜びますが、決して喜ばしい物ではありません。
 また、人類のおおよそ一厘から二厘がノージなので、実はそれほど珍しい存在ではありません。
 フェナスのように精霊が必要な形になるよう、様々な苦しみを与えられたりします。
 赤貧の家庭に生まれさせたり、虐待や差別に苦しむ所に生まれさせたり。
 幸せの絶頂から最底へ突き落とされたり様々です。
 ノージに生まれる事が良いのか悪いのか。
 それはその人にしか分かりません。 
 また必要な形がどういう形であるかは精霊のみが知っている為、平々凡々な一生を終えたのに実はノージだったと言う人もおります。

 ギンブ。言われなき差別を受ける人。
 ノージの考えを熟成させる為に、なんの理由も無いのに差別を受ける人です。
 これは民族同士の差別とか人種の差別とかそういうものではありません。
 同じ民族の同じ人種で同じ権利を有しているのに、顔が醜いなどとかの理由で不当に周囲から差別を受ける人です。
 ギンブは差別を乗り越えて大成したり、性根が腐って悪に落ちたり、環境に耐えきれなくなって自殺したりと、様々な道を辿りますが、全てがノージの肥やしとなります。

 ワンカタ。大多数の人はここに属します。
 ノージを育てる際は「環境」として存在します。
 人としての職業は王や英雄などと言った輝かしいものから犯罪者や貧民などの薄暗いものまで様々です。
 民衆から圧倒的な支持を得て称賛を浴びる者が、実はノージを育てる為の環境だったと知ったらどんな顔をするでしょう。
 フェナスは偶然にも素晴らしい政治家となったノージでありましたが、絶大な支持を得た有能な政治家でも実はワンカタだったと言う事の方が大多数であります。
 フェナスは子供を失っておりますが、子供を失った人をノージに見せる事で、ノージを育てると言う事があります。故に子供を失えばノージと言う訳ではありません。
 同様に酷い苦労に遭えばノージと言う訳でもありません。
 ワンカタに共通するのは死ぬ時にあっけない人生だったと感じてしまう人はワンカタだそうです。

 このノージ、ギンブ、ワンカタは固定ではありません。精霊の思惑次第でノージがギンブになったりもします。
 神(精霊)に選ばれたとするノージになった所で決して幸せになれるという事はありません。
 毎日平凡に暮らしていたワンカタがある日ノージに選らばれた事により不幸に落ちた事もしばしばです。



◆◆◆



 ミューリレイはコロトトと一緒に別のルゥミマユへ行ってみました。

 いろいろな世界がありました。
 中には精霊と人々が対話しつつルゥミマユを構築して行く世界もありました。

 自由に行き来できるルゥミマユもあれば、行き来を一切許さないルゥミマユもありました。
 全てはそこのルゥミマユの構築する者の裁量で決められていました。
 自由に行き来できるルゥミマユ同士で貿易が行われている所もありました。

 どのルゥミマユでも人々には悩みがあり、また、精霊が人々を悩ませるように導いていました。
 ミューリレイは自分の居るルゥミマユであるカゥシ・ラバ・リレイの精霊達が特別に人々を悩ませる精霊では無い事に少し安堵しました。
 ただ、カゥシ・ラバ・リレイの人を悩ませる度合いは他のルゥミマユより厳しいと言う印象はありましたが。

 コロトトはこう言いました。
 ルゥミマユ構築の為には人々の育った魂が必要だから、その為にどこでも人を悩ませている。
 逆を言えば、人の魂が育つのであれば悩ませる事をしなくても大丈夫と。

 ミューリレイはそれを聞くと、何故か安堵しました。
 理由はわかりません。



 ある時、ミューリレイは人々があまり悩まないルゥミマユを見つけました。
 その世界では精霊が人々の望む物を何でも与えていました。
 人は生まれてから欲しい物をなんでも得ながらのんびりと暮し、そして死んで行く。
 ミューリレイが人ならばこの世界に生まれたいでしょう。

 ただ、この世界の人々は一体何の為に生きているのでしょうか?
 生まれて食べて寝て食べて寝て、そして死んでいく。
 いつでも願いが叶えられる為か殆どの人が無欲になっており、あまり望みを神に訴えたりしませんでした。

 願えばいくらでも長生き出来ますが、特やる事も無いので人々は寿命で死ぬ事を選び、別段思う事も無く死んで行きました。
 生まれる事にも死ぬ事にも病める事にも老いる事にも、何も思わず人々は暮らしていました。
 果たして彼らの魂は育っているのでしょうか?

 人として生まれたらここに生まれたいと思いましたが、ここの人々を美しいとは全く思えませんでした。



 とあるルゥミマユにアイトタイロスと言う王国がありました。
 その王国の姫ムムと、仕える騎士メルラギ。

 何故かその二人が気になったミューリレイはコロトトと共にその二人の一生に付き合いました。

 後にミューリレイは、ムムとメルラギとの僅か五十余年の出来事の方が精霊達と過ごした億単位の年数よりも勝る経験だったと言います。

 このアイトタイロスでの出来事は夢枕に立った女性が頑なに語りませんので割愛させて頂きます。



 ルゥミマユからルゥミマユへ移動する際、ミューリレイは休める所が欲しいと思いました。
 ミューリレイに疲れと言う物はありませんが、連続で別の世界に移動する事に何やら目まぐるしさを感じたのです。
 またアイトタイロスでの出来事が響いているようです。
 何が響いているのかは不明でありますが。

 ミューリレイがコロトトに休める所が欲しいと言うとルゥミマユの外の世界であるオアザンコヤマに休める所を作ってくれました。
 オアザンコヤマに水の球であるルゥミマユが浮かんでいるようにオアザンコヤマに土の塊を浮かべました。

 元はただの土の塊ですが、休む人が最も心休まる姿に見えるのです。
 真実が土の塊であっても五感全てと魂に感じる雰囲気が自分の最も心休まる姿に見えるのです。

 真実の大きさは人を三人縦に並べたぐらいの大きさの土の球体でありましたが、狭い部屋が心休まると言う者には狭い部屋に見え、逆に広い土地でのびのびしたい者には見渡せるほどの広い土地に見えます。

 ミューリレイには緑の芝生が広がり、心地よい風が頬を撫で、若草の良い匂いがする所に見えます。

 真実では土の塊の上に居るだけなのですが心は実に休まっています。
 ミューリレイに見えている世界が偽りであるならば、心の休まりも偽りなのでしょうか?

 この休憩所をミューリレイはカイマと名付け、度々ここで休むようになりました。

 また、見えている物は偽りでも行われている事は真実です。
 と言うのは、もしもカイマで湯に浸かれば本当に熱を身体に受け、本当に身体の汚れが落ちます、また、カイマで出された食べ物を食べると見えている物は偽りの食べ物でも、身体が摂る栄養は食べている食べ物と全く同じと言った具合です。



 契約と私欲の精霊ロイはカゥシ・ラバ・リレイの外にミューリレイが拠点を持った事を聞くと何故か破顔しました。

 それを見たコロトトも静かに頷きました。
 ミューリレイはそのコロトトが一瞬、妙に怖い物に見えましたが直ぐにいつものコロトトになったと言います。



 とある日、ミューリレイがカイマでコロトトとお茶会をしておりました。

 他愛も無い雑談がふと途切れた時の事。
 コロトトがまた一瞬、妙に怖い物に見えました。

 そしてミューリレイにコロトトは言います。
 貴女が望む世界とはどんな世界なのかと。

 ミューリレイが突然の事に言葉を詰まらせているとコロトトはさらに続けました。

 自発的な行動は何かに納得したい時に行われるものです。
 こうやって誰に命令されるでもなく自発的にルゥミマユを見て回っている貴女は何か納得の行かない事があるからで、それはきっと貴女自身が望む世界を探しているからだ。
 と言いました。

 ミューリレイはそんな自覚はまるで無く、ただ単に他のルゥミマユを見たかっただけでした。
 そうコロトトに言ってもコロトトは首を振るばかりです。

 コロトトは言いました。
 ミューリレイ。貴女は一体何者?
 ルゥミマユの中に構築する者のような形で居たと思えば構築する者ではありませんでした。
 かといって人でも無ければ何かの眷属でもありません。

 元々貴女には使命等は無く、なんらかの理由で消滅するその日まで、ただただ意味も無く過ごすだけの存在だったのかもしれません。
 そうなったとしても私は全然構いませんでした。

 しかしカゥシ・ラバ・リレイの精霊の中には新しい何かを吹き込んでくれる者が現れるのを望んでいる者もいます。
 その新しい何かがなんであるかはわかりません。
 望んでいる者は何でもいいのかもしれません。

 貴女は構築する者や人に干渉できる位置に居る上に使命も無く自由です。
 新しい何かを吹き込むとしたら、貴女を置いて他におりません。

 特に具体的な指示はありません。
 特に方針的な指示はありません。
 新しい何かを望んだ結果、古い何かになってしまう事もかまいません。
 貴女自身がしたい事を真っ直ぐにしてください。

 それがきっと「何か」なのでしょうから。

 ミューリレイは問います。
 私がしたい事をすると、折角つくられた秩序が崩壊するかもしれない。
 それでも構わないのか。

 コロトトは答えました。
 貴女自身がしたい事を真っ直ぐにしてください。

 ミューリレイは問います。
 私がしたい事をすると、ミドア達を裏切る事になるかもしれない。
 それでも構わないのか。

 コロトトは答えました。
 貴女自身がしたい事を真っ直ぐにしてください。

 ミューリレイは問います。
 私がしたい事をすると、コロトトを裏切る事になるかもしれない。
 それでも構わないのか。

 コロトトは答えました。
 貴女自身がしたい事を真っ直ぐにしてください。

 それがきっと「何か」なのでしょうから。




 ミューリレイは吹っ切れたように行動を起こしました。
 精霊達が世界の構築に必要な事柄の為に殺そうとした人を勝手に助けたり、必要悪として存在させていた組織を勝手に潰したりしました。

 その結果、世界が滅ぶような危機が起きたり、必要悪が居なくなったのでもっと別の悪が蔓延り前よりも人々が苦しんだりと散々でした。

 なんとか精霊達が調整を行い世界の滅亡は救われて来ましたが、ミューリレイの行動は止まりません。
 精霊達がどうにかしようとしても、ミューリレイは何故か捕まえる事ができない上に、カゥシ・ラバ・リレイを精霊達が譲り受けた時に交わした約束である「ミューリレイ本人に危害を加えない事」と言う約束が制約となり、どうしてもミューリレイを止める事ができませんでした。

 精霊達はほとほと困りましたが、一部の精霊は助けたかった者が目の前で助けられる姿に少なからず喜んでしまったりしました。

 ほどなくしてミューリレイには「慈悲と闘争」と言う二つ名が付きました。
 この二つ名の出所はわかりません。
 しかし、すんなりと精霊達の間で呼ばれるようになりました。

 慈悲と闘争のミューリレイ。
 カゥシ・ラバ・リレイの女神の名です。



 慈悲と闘争の女神ミューリレイ。



◆◆◆



 夢枕に立った女性はミューリレイが女神の位置付けにある事を言うのを非常に恥ずかしがりましたが、私には見えない何者かにせっつかれて渋々と付け足しておりました。
 この夢枕に立った女性が何の目的で私にこんな話をしたのかは皆目見当がつきませんが、とりあえずは受け取った事を解釈するがままにここに記しておきます。

 それでは長々と駄文にお付き合い下さり、ありがとうございました。


水滴として

 さてさて。
 夢枕に立った女性が「ミューリレイとコロトトがたくさんのルゥミマユに訪れていた」と言うイメージを私に見せた際、様々なシーンが流れ込んできました。
 相当数あったのですが、私が覚えていた範囲をご紹介します。



【白路言】
 某ルゥミマユの教室の張り紙。

 格好つけようとするな。話を聞こうとしろ。
 格好つけようとするな。話を伝えようとしろ。

 出来る人間に見られようとするな。その場で必要な事をしろ。
 良い人間に思われようとするな。相手の気持ちを慮れ。
 モテようとするな。相手の幸せを考えろ。

 人と会話をする時、自分を弁の立つ人間だと思わせる事を考えて行動すると必ず破綻する。
 職場で働く時、自分を有能な人間だと思わせる事を考えて行動すると必ず破綻する。
 友人知人と接する時、自分を素晴らしい人間だと思わせる事を考えて行動すると必ず破綻する。
 異性と接する時、自分を魅力的な人間だと思わせる事を考えて行動すると必ず破綻する。

 自分を素晴らしい人間だと周りに思わせるように考えて行動すると必ず破綻する。

 格好つけようとするな。話を聞こうとしろ。
 格好つけようとするな。話を伝えようとしろ。

 出来る人間に見られようとするな。その場で必要な事をしろ。
 良い人間に思われようとするな。相手の気持ちを慮れ。
 モテようとするな。相手の幸せを考えろ。



【根始終】
 某ルゥミマユの学者の弁。

 一つの文化が終わる時はいつか?

 例えば一定の方向の小説を作る文化があったとしよう。
 これを例1文化とする。

 この例1文化が終わる時は色々あるだろうが、可能性の高い順として2つある。
 一つは駄作ばかり流通してその文化が魅力の無い物になった時。
 もう一つは駄作を全て排除して良作だけを残そうとした時である。

 駄作を必要としている訳ではないが、多くの者が作品を作った結果として出来てしまった駄作であれば、それも作品の一つとして認め、排除してはならないと言う事だ。

 もちろん例1文化が隆盛してる事に目を付けて、さして例1文化に興味が無い輩が利益の為に場を荒らすようであれば、それは排除するべきであるが、そうで無ければ駄作は駄作と言う作品である事を受け入れなければならない。

 良作だけを残して駄作を全て消し去ろうと言う空気が場を支配した時、文化はそこで破綻する。
 それによって形骸化された文化は悪しか産まなくなる。
 そして文化が悪しか産まなくなった時、その文化は打倒される。



【在りし日の世界】
 某ルゥミマユの教師の弁。

 人は産まれた時、大きな祝福を受けます。
 周りの人全てが「笑顔」で迎え入れ「産まれて来てくれてありがとう」そういう空気から始まるわけです。

 幼子にとって「全世界」とは自分の目に見える範囲です。
 つまり全世界の人々から慈愛を持った目で見られ常に称賛を浴び、さらに何をしても注目の的で貴方を無視することはできず、お姫様扱いを受けます。

 幼子の「欲望」なんてお腹が空いたとかそれくらいしか無いでしょう。
 自分が思いつく限りの「欲望」は全て周りが叶えてくれます。
 周りは嫌な顔一つせず、むしろ「お役に立てて光栄。貴方の笑顔が見たい」と言う態度で欲望を叶えてくれるのです。
 これが一般的な人々の幼子の世界です。

 人が物心付いた時、周りの環境を見て「これは本当の自分じゃない。本当の自分は……」と、思うのも無理は無いかもしれません。

 人は「正常」な状況が崩され「異常」な状態が続くとストレスを感じます。
 幼子の頃の世界が「正常」と心に刻まれてしまっている人間は大人になってからの世界では相当なストレスでしょう。

「魂に刷り込まれている」幼子の頃の記憶の「正常な」世界。
 それを取り戻そうと藻掻き足掻く。
 または「間違った」世界から救ってほしいと神にすがる。

 生きていれば色々な生き方があるでしょう。
 しかし幼子の頃の世界を「正常」とするならば、どんな生き方でも強いストレスが生まれます。
 人はどのように歩けば良いのでしょうか?



【アリムナのメルラギへの助言】
 某ルゥミマユの一瞬だけ見えた情景。

 アリムナは言いました。

 女は愛されたいと言う欲が何よりも一番最初に出てくる物。
 男の女に対する肉体的性欲が強烈な物だと言うならば、女の愛されたい欲は男の性欲に当たります。

 女が自分の容姿を一身に磨くのは愛されたいからで、例え性的に喜ぶ格好をしていても性的に抱かれたい訳ではありません。
 女の愛されたい欲は肉体的性欲とは関係無いのです。

 逆に受け入れられない者には愛されたくありません。
 なので女が嫌悪するとそれは徹底的な物になり慈悲はありません。

 もしも貴方が女の行動で不思議に思う事があれば、その女が愛されたいから、又は愛されたくないから、そういう行動をしてるのではと考えてごらんなさい。
 謎が解けるかもしれませんよ。



【彩世の境地】
 某ルゥミマユの思想家の授業。

・苦労という銭

「苦労」と言うものは「物理側」で言う「銭」のようなもので、便宜上、「彩銭(あやぜに)」と称する。

 この「彩銭」は苦労すればする程、貯まって行く。
 そして「彩銭」によって様々な「精神側の物」が買える。

「彩銭」で買える物は「威風」だったり「人柄」だったり、
 内面から発せられる「自信」だったりと様々である。

「大彩銭持ち」になると、
 言葉一つ一つが相手を無条件に納得させたりもする。

・最終的にあるべき姿

 最終的に一番良い状態と言うのは、
「自分の思うがままに発言・行動をしているのにそれが全て善行」
 という状態である。
 自分自身は自分の思うがままに、つまり我儘に生きているのだからストレスは無い。
 そして、その行動全てが善行なのだから、周りの人間にも感謝される。
 これが一番良い状態なのである。

 例えば道端にゴミが落ちているのが許せない人間だとしよう。
 ゴミを拾い屑籠に捨てるのは完全に自分の思うがままであり、
「自分自身のやりたいようにやった行動」なのである。
 自分の好き勝手にやったのに周りの人間は「善行」として評価してくれる。

 同様に自分が言いたい事を言ったら、それが言われた人にとって為になる事になり、周りの人間も「良い事を言ってくれた」っと評価してくれるのならばなんでもストレス無しに言い放題である。

 自分の思うがままに発言・行動をしても良い世界。
 何と楽しい世界だろうか。

 世界を変えるのは難しい。
 ならば自分がそのように変わるのが一番手っ取り早い。

 この最終的にあるべき姿になるにはどうしたら良いか?
 それを見つける修行をして行こう。
 その為には「彩銭」を貯める事が一番である。

 例えば先程も触れたが道端にゴミが落ちてるとする。
 人はそれを拾い屑籠に捨てたいと思っても「何故自分がそんな労力を使ってやらねばならぬのか」と「損をした気分」になり、やらない。
 確かにその通りだ。
 皆が皆、見てみぬふりをして通過してるのに自分ばっかり汚い物を処理すると言う損な役回りをせねばならんのか。
 そもそもゴミを捨てたのは自分じゃない。
 捨てた奴が拾って屑籠に入れろ。
 他人の尻拭いを何故、自分がしなけりゃならんのだ。
 これが正論である。

 そこをあえて苦労をして「彩銭を貯める」と言う目的で自分がやるのである。
 これは「ゴミを拾い屑籠に捨てる」と言う「自分の思い」が達成できる。

 ただ注意したいのは彩銭を積むと言っても誰かの下僕になって奴隷生活をすると言う意味では無い。

 最初は「彩銭の為、彩銭の為」っと我慢していたものが自然と行動を起こせるようになれば成功だ。
 
 逆にいつまでたっても「彩銭の為」が抜け切らず、また「彩銭を集める為になら何でもする」ようになったら失敗である。

・自然と行動が起こせる様になっても

 奉仕活動、勤労、などなどの他者からみて立派な行為を自然と振舞えるようになった時、 「愛の為」「誰かの為」「人々の為」「世の中の為」などと言う「自分を善人側」と考えてはならない。

 全ての行動は「自分の修行の為」と言う「利己的な行動」と思うべし。

 もしも「世の為人の為」と思うようになってしまっては、いざ自分の身に不幸が起きた時、「自分はいつも良い事をしているのに何故?」とか「自分は報われるべきなのに何故?」と思ってしまう。
 また、他者と対峙した時「あいつは自分よりも善人ではない」とか「私のほうが良い事をしている」と思ってしまう。
 自分を善人側、正義側と思うようになってしまうと、逆に不満が溜まって行くのである。

 そう思わない為にも、全ての行動は「自分の修行の為にやっている」と思う事である。

・修行の大切さ

 あらゆる苦行(仕事、生活、そのほか面倒な事)は全て自分を高める修行であるとする。
 面倒でやりたくない事、上司からのお叱り、発生してしまったギスギスとした空気。
 自的苦痛、外的苦痛の全てを「これは修行の為」と思い、全力を持ってあたるべきである。

 さて。ここで繰り返し言う「修行」。何故それ程までに大切なのかと言うと『人の評価はその人の「能力」による』からである。
 精神的な面でとても好感の持てる人も評価に入るであろうが、好感があるだけで能力の無い人は結局お荷物になるのである。
 だから人は修行し、自分の能力を高め、その上で好感の持てる人間となるのだ。
 人の良点を精神的な物に求める人も先ずは「有能」になることが先である。

・美しさは常に気にかける

 誇りを持ち、清貧清潔誠実を保ち、紳士に生きる事も大切な要素の一つである。
 紳士たるものが苦労を重ねるから美しいのであって、卑屈に生きるのは醜態を晒すだけである。
 紳士に生きようとする行為が周りを幸せにする一つと心得る事である。

 清貧とあるがこれは心持の事であり進んで貧乏になれと言う訳では無い。
 富の重さや富の柵に己が心が潰れず揺らがなくなるならば富んでも構わない。

・最終目標

 目標は「最終的にあるべき姿」で述べた「自分の思うがままに発言・行動をしているのにそれが全て善行」を目指す事である。

 便宜的にこの「最終的にあるべき姿」を「彩世の境地(さいよのきょうち)」と名付ける。

 人の世で学び修行を積み「彩世の境地」に辿り着く。
 それこそが到達点である。



【幸せと宗教と】
 某ルゥミマユの為政者の弁。

 人間の願いや欲望などの追いかける物を突き詰めると最終的に「幸せになりたい」と言う所に辿り着きます。

 なんのかんの言っても人間は只々幸せになりたいだけなのです。
 夢を追いかけるのもお金を稼ぐのも誰かを好きになるのも誰かを憎むのも、全ては「幸せになりたい」と言う気持ちが大元です。

 しかし、
「何を以って幸せなのか?」。
 これが分かりません。

 貧困国の人が「毎日ご飯が食べれれば幸せ」と言っていました。
 では聞きましょう。毎日ご飯を食べられる人達よ。
 幸せですか?

 愛する人と一緒に成れる事が幸せと言う人も居ました。
 では既婚者の方々に尋ねましょう。
 幸せですか?

 胸を張って幸せだと言える人間がどれほどいるでしょうか?
 中には「幸せだ」と言い切る人もいるでしょう。
 それは一体全体の何割でしょうか?

 人間は「何を以て幸せなのか?」を定義できません。
「これをすれば幸せ」「これをやれば幸せ」と言うのを定義できないのです。
 定義したら定義した端から「そんなことは無い」と言う事が見つかってしまう。

 最終的に「幸せになりたい」これが人間の最終目的なのに幸せになる定義が今一つあやふやで見つからない。
 幸せになる方法が見つからない人間はとても不安定でストレスを感じるでしょう。
 そして救いを求めるようになるでしょう。

 皆さん。
 ここで出てくるのが「宗教」です。

 宗教は「これが幸せ」と定義してる事があります。
 それは「神に救われる事」。

 人間はどうすれば幸せになれるか分かりません。
 しかし全知全能でなんでもできる偉大なる神様ならば自分が幸せになれる方法を知っているはず。

 その神様に救われる為にはどうしたら良いか?
 それはその宗教の教義を守る事です。
 教義を守れば偉大なる神様に救われて幸せになれると信じる。
 信じる者は救われる。

 これが宗教の本来のあるべき姿です。

 宗教とは脆弱な人間がどうしようもない運命を目の当たりにした時、最後にすがる心の支えのようなものです。

 本来、動物の世界は弱肉強食で、当人がどれだけ真面目に生きていようが善行を積んでいようが暴力的な強い奴に理不尽に殺されてしまいます。
 弱い人間にしてみればたまったものではありません。

 人間も動物と同じ「世界」にいるのですから当然理不尽は発生し、それに対して誰も助けてくれはしません。

 ちょっと昔の事ですが、とある少女がレイプされ、その事を訴えたら「少女の方が誘ったんだろう?」と言う判決を受けて少女が刑罰を受ける事になりました。
 これは実話です。
 こんな理不尽が許されるものでしょうか?

 こういう時に「こんな理不尽はいずれ偉大な神様が対処をしてくれる」とか「少女は理不尽な目に遭ったのだから神様がどこかで救ってくれる」とか「理不尽を与えた者は神から天罰を受ける」とかを本気で思う事が宗教です。

 さらに宗教と言う物は「神が設定した素晴らしい世界観」が存在します。
 正しく生きた者が報われ、不正に生きた者が損をする。
 と言う世界観があるのです。

 正しく生きれば偉大なる神が見ていてくれて、どんなに辛い毎日を送っていても、いずれ救われる。
 真面目に頑張った者が報われ、不真面目だった者は報われない。

 そういう世界であって欲しい。
 そういう世界であるべき。
 いや、そういう世界なのだ。
 と言う物。

 そういう世界だと信じるからこそ頑張って生きていける。

 辛くても神様が見て居て下さる。
 だからきっと自分は救われる。
 だから自分は頑張って生きていける。

 これが本来の宗教なのです。

 私もそういう世界であって欲しいし、そういう世界に住みたい。
 本来の宗教とは人にとって理想郷で無ければならないのです。

 故に、私たちの宗教は間違っている。



【信用】
 某ルゥミマユの資産家の弁。

 最も価値のある財産は「信用」である。

 権力者だろうが富豪だろうが信用を失えば裏切られる。
 逆に信用さえあれば稼ぎたい放題だしモテ放題だ。

 そんな貴重な信用を得る為に何をするべきかと問われても答えられない。
 信用を得ようと人に尽くしても下僕と思われてしまったら信用にはならないだろうし、誠実で正直であってもそれが信用に繋がるとは断言できない。

 信用を得る為の理論は無いのである。

 しかし何をすれば信用を失うかと問われれば、ある程度答えられる。
 悪意、悪態、愚痴。
 悪意を持った言葉を発し、悪態を晒し、愚痴を言う。
 これだけでどんどんと信用は失われて行く。
 
 信用を得る方法を模索する前に失われないようにするべきである。



【祝福】
 某ルゥミマユの会社員の弁。

 同僚の奥さんが出産した。

 周りの人々が笑顔一杯に祝福する中、私は複雑な思いだった。

 酷いサディストが創ったとしか思えない「人の世」に産まれてしまったのだ。
 どれ程の涙を流して生きる事になるのだろう。

 願わくば最期に幸せだったと言えるような人生を送ってほしい。



【善悪】
 某ルゥミマユの酔っぱらいの弁。

 物事の善悪の判断は、
 どれだけ「共感」できるかにかかっている。

 多くの人が共感できればできるほど善で、
 共感できなければできないほど悪なのだ。



【神話】
 某ルゥミマユの宗教学者の弁。

 なるほど。
 神話の全ては比喩だったのか。


登用教

 ここまでが覚えている中で、文章に起こせる範囲でしょうかね。
 もっといろいろありましたが、他は断片的過ぎて文章にできません。

 全体的に格言や宗教じみたものが多かった気がします。
 きっと、私が宗教に対して何か思う所があるのでしょう。

 もしも私が宗教を作るとしたら、どうしましょうかね。
 ちょっと考えてみました。

名前
・登用教

神話
・リレイ嬢の庭




謳文
・全ての運命が神に因るものならば、神を憎んで人を憎まず。

教義
・自分と他人を比べてはならない
・他人と自分を比べてはならない
・自分と自分を比べてはならない

Dogma
・Don't compare yourself with others.
・Don't compare others with yourself.
・Don't compare yourself with yourself.

十指
・誰かの優しさを自分の実力と勘違いしてはならない。
・時間の本質は消去である。
・人の行動原理で一番強力なのは「危機感」と「使命感」である。
・男を「上手に騙す」のが女のつとめ。
 女に「上手に騙される」のが男のつとめ。
・手に入れる為に手を伸ばすのであって、
 手を伸ばせは勝手に手に入って来る訳じゃない。
・危機感、使命感、神秘性、人物性、欲望性、官能性の6つを持って物語とする。
・自分が無能で何も無い人間ならば、せめて背筋を伸ばして胸を張って生きろ。
 無能な上に背筋を丸めて俯いていたら、それこそ救い様が無い。
・幸せは理屈じゃないけれど、
 不幸せは理屈である。
・「めげないこと」この一言に尽きる。
・楽しんでも1秒。苦しんでも1秒。

 そして運営は次の通りにします。

 登用教は「僧侶」と言う専門の役職を作らない。
 登用教は「入門」「破門」と言う制度を作らない。
 登用教は「組織」を作らない。

 登用教はあくまで一般人が登用教の教えを「参考」にすると言う姿勢であり、
 専門職の僧侶や運営員などの登用教を構成する為の組織を作らない。

 そう言った意味では「信者」も居ない。
 登用教に入門する破門されるなどの制度は存在しない。

 あえて登用教を信仰する者を表現するならば、
 信者ではなく「学生」と呼称する。

 教師は不在で登用教と言う参考書(参考にするだけの書)を読む学生。
 これが登用教の形である。



 さて。こんなものでしょうか。
 まったく救われない宗教ですね。

 でも私は気に入りました。

 教義の補足として私の解釈を添えておきます。
「自分と他人を比べてはならない」とは「優る自分と劣る他人を比べてはならない」。
「他人と自分を比べてはならない」とは「優る他人と劣る自分を比べてはならない」。
「自分と自分を比べてはならない」とは「過去の自分と今の自分を比べてはならない」。

 過去の自分と今の自分というのは、今の自分を全ての基準として考え、過去の自分を持ちださないと言う事です。
「今は駄目な奴だが、昔は凄かった」などと過去の良かった頃の自分にすがり、思考を停止させてはならないのです。
 過去の自分を語るのも、訊かれたら小出しにする程度に留め、なるべく控えた方がよろしいでしょう。

 また、毎日毎日やっていた事を偶にはいいだろうっとやらなかった時、やらなかった事は許されますが、それを誰かに咎められた際に「普段はやっていた」と言い訳する事は見苦く、今の自分の価値を落とすだけですので止めましょう。

 過去の境遇と今の境遇を比べ、自分を納得させる行為は自分と自分を比べる事にはなりません。
 境遇と境遇は「他人と他人」と言う扱いです。
 他人と他人を比べる事は禁じていません。
 他人と他人を比べる事を積極的に行うか消極的に行うかに決まりはありませんが、他人と他人を比べる事は禁じてはいないのです。



 さて、最後に一つ考えて欲しい事があります。
 なんでもできるという万能感を持ちつつ聞いて下さい。

 とある野生のイノシシが山に住んでおります。
 そのイノシシは問題無く自立しており、子育てもしています。

 しかし野生であるが為、楽な暮らしとは言えません。

 例えば餌場は経験で知っている所だけに限定されてしまっており、ちょっと考えれば直ぐ近くに新しい餌場があると分かるのに考える力が無いから行けないのです。
 また、工夫をすれば子育ても楽になるのになと思う所も彼方此方にあります。

 そんなイノシシに対して貴方はどうしますか?

「救ってやろう」とか「良い事を教えてやろう」とか思いますか?
 救うとはそういうものなのでしょうか。
 貴方なりの答えを導き出して下さい。

 私から言えるのは「知識や言葉は用法用量を考えてお使い下さい」でしょうかね。



 それでは長らくのお付き合い、ありがとうございました。
 またどこかでお会い致しましょう。


夢枕:2007年8月31日

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