六夜とバイト    メニューへ戻る
冒険者管理局の局長に的確なアドバイスを送ったり、
楽しいイベントを起こしたりと多岐に渡ってご活躍のcarot様のストーリー。
このお話はcarot様の魔法生物達が六夜市ドラゴンレースに出場すると言うお話。
素敵なお話が展開されて行きます。
帝國史書係 セイチャル・マクファロス

文/carot様
*1 〜控え室〜*2 〜命の洗濯〜*3 〜控え室2〜*4 〜温泉にて〜*5 〜平穏な日々〜
*1 〜控え室〜 ▲
 
 扉を開けると、すでに準備を始めてるやつがいた。……二人。いや、この場合は一匹と一人、と言った方がいいのか。
「よ」
「挨拶はいいから早く閉めろっ」
「久しぶりだな。どこ行ってた?」
 一人と一匹が一斉におれに話しかけてくる。
「誰も見やしないって、おまえの着替えなんか。酒場のバイトだよ」
 飛んできたナイフを受け止め、おれは扉を閉めた。
「なんかとはなんだっ。仮にも恥も恥じらう乙女に向かってっ」
「ああ、島市か。あそこの奥さん、べっぴんだよなあ」
 だから一度に話しかけるなってば。
「なんだよその『恥も恥じらう』ってのは。それに普段から上半身裸……ぶはっ」
 連続攻撃が飛んできた。てぇか、手当たり次第に投げるのはやめろってば。そのあたりには火薬も……。
「いや、今回の酒場はおっさんだった。まあ、一緒に働いてた子がかわいかったからいいけどな」
 投げるものがなくなったのか、ものは飛んでこなくなった。その代わり針が飛んでくる。髪の毛を針にしてとばせるのはこいつぐらいなものだ。
 近くに転がってきた木材を投げ返すと口から火を噴きやがった。消し炭が転がる。だから、そばに火薬があるってぇの。
「そりゃうらやましいな。俺も行ってみたいよ」
 そういえばこいつ、まだこの部屋から出たことなかったんだっけ。
 こっちでの姿がもらえない限り、顕現できないから面倒なんだよな。今も半分透けた姿のままだ。もちろん、物体は通り抜ける。
 おれやあっちの半人半蛇は比較的早くに姿もらえたおかげでこき使われてるんだけどさ。
「そーれーかーらー、いい加減にしとけよ、ブリューナーク。火薬に引火したら全員あの世行きだぞ」
「だってー、ヴォル、あいつがわるいんだよっ」
 半人半蛇、いや、ブリューナークはこいつにだけは弱い。どーも惚れてるらしいんだよな。人が油断してる隙に致死撃かけてくるようなやつなんだけど、まあ、やっぱ乙女なのかねえ。中身は。
「はいはい、わかったから。火を吐くのだけはやめろ、な?」
「うー、わかった」
 ようやくおとなしくなった。バイト上がりで疲れてるってのに、どうしてひとバトルせにゃならんのだ。まったく。
「さんきゅ、ヴォルスング。でも酒場のバイトだけはやめとけよ。仕事は夜遅くまでだし材料調達にかり出されることもあるし、妙な客も紛れ込んでくるし、いいことないぜ。主は一ヶ月に一度、給料確かめに来るだけだしよ。それにしても、人使いが荒いよなあ。バイト上がりで今度はレースだって?」
 ヴォルスングは机の上の物体を指さした。
「らしいな。まあ、レースの日以外は六夜に詰めとかなくていいらしい。俺は暇だから詰めてみようかと思ってるけど」
「やれやれ。レースなんかでた日にゃ、翌日酒場で居眠り確実だよ。またおやっさんに怒られる」
 その物体は緑色のでかいつなぎのようなものだった。
「なんだ? これ」
 それに答えず、やつは部屋の隅を指さした。すでに着替えをすませたブリューナーク……だよ、な?
 どうみてもそれは、緑色の巨大な着ぐるみのようだった。
「……ゾウの足か?」
 別の世界にいるという生物にそういうのがいると主が言っていた。
 そのゾウの足が寄ってきて、思い切りおれの足を踏んだ。
「誰がゾウの足だっ!」
「痛ぇっ! なにすんだよっ」
「龍、だとさ」
 どこをどう見たらこれが龍なんだ? どうみてもゾウの……いてっ!
「なんで踏むんだよっ! 何も言ってないだろうがっ!」
「あんたの目が物語ってたもんっ どこからどう見てもゾウの足だろ、って顔に書いてあったっ!」
 おまえ何歳だよ。もんとか言うなもんとか。
 再び激痛。
「だからなんで踏むんだよっ! 何も言ってないだろうがっ!」
 くくく、と笑い声。ヴォルスングは腹を抱えて笑ってる。こいつってこういう笑い方するのか。
「だめだよ、クラウ・ソラス。お前さん、全部顔に出るから」
「うるせぇ」
「ま、覚悟決めておくんだね。どうやらこれを着てレースにでるらしいから。まあ、この着ぐるみにあわせて主が姿変えてくれるらしいから、レース自体は問題ないと思うよ」
 そりゃそれぐらいしてくれなきゃ。顔もすっぽり覆われちまうから足下すらおぼつかない。これでレースに出ろなんて、正気の沙汰じゃねぇ。勝てる訳がねぇ。
「ちなみに、他の厩舎の奴らはちゃんと『龍』だそうだから、ま、俺らは賑やかし担当ってことでいいんじゃないかな」
「……レースの途中に踏みつぶされたりしないだろうな」
 ヴォルスングは腕組みして考えるポーズを取った。気障な奴だ。
「さぁねえ。ま、終わった後は傷だらけだろうから、温泉にでも入ってゆっくりしたらいいんじゃないかな。キャロ様が温泉掘ってくださったらしいから」
「入ってる暇ねぇよ。その足で酒場にとんぼ返りだし」
 それにしても、あのちっさな姿で温泉って……ま、まさかハムスターサイズじゃない……よな?
「それもそうか」
 ばたむ、と扉が開いた。
「……なぁんや、まだ着替えてへんのかいな」
 入ってきたのは主。
「ノックぐらいしろよな」
「クラウも来てくれたんやね。おつかれさん」
 今すぐ来いって言ったのは誰だよ。切れるぞ。
「レース前にお披露目せなあかんから、はやいとこ着替えちゃって。魔法かけなあかんし」
「へいへい」
「あ、そうそう。服着たままやと魔法かけられへんから、全部脱いじゃってね」
 それでか、ブリューナークが選ばれたのは。基本的にいつもと一緒、だもんなあ。ヴォルスングはこちらの肉体がないから着ぐるみに憑依すれば終わりだし。
「ほれ、早く脱いじゃって。それとも手伝おうか?」
「…………出てけーっ!」
「なんや、アタシは気にせぇへんのに」
 おれが気にするんだ、ったく、この主だけは。
「ところで、特別手当は出るんでしょうね」
 物陰に隠れて着替え始めたおれから主の注意をそらしてくれる。ヴォルスング、さすが。
「とくべつてあて〜? んー、まあ、賞金が入ったら考えるわ。厩舎建てたし、騎手も雇ったし、温泉も掘ったし、今月は出費がすごいから、ぎりぎりなんよね。特別手当欲しかったらがんばって入賞することやね」
「鬼」
 とおれ。あ、やば。聞こえたかも。独り言のつもりだったんだけど、なんか殺気が……。
「クラウ〜、あんたには長距離レースに出てもらうからねぇ」
 やっぱり鬼じゃん。
「準備おわった〜? うん、なかなかええやん?」
 物陰から出てきたら、二人はすでに魔法をかけ終わったあとのようで、ヴォルスングの透けた姿が見えない。
「んじゃ、魔法かけるよ〜動かんといてな」
 足下に魔法陣が出現し、怪しく光り出す。呪文がとぎれとぎれに聞こえてきた。被っていただけの着ぐるみが肌にぴっちりと密着し、皮膚の感覚がなくなる。
 光が消え、視界が戻ってきたとき、おれの手はおれの手じゃなくなっていた。
 ……なんか違う。
「ちょっとまてっ! これ、メス用の着ぐるみじゃ……」
「あー、気ぃつくの早いなぁ。ごめんなー、あんたの登録、女の子でしてしもてん。ヴォルとブリュちゃんはちゃんと性別あわせてんけど、ちょっとうっかりしてな〜。かんべんしてや」
「……もしかして、女子限定レースとか、男子限定レースとか……」
「あるで。ま、あんたのことやし、女子限定レース出てもかまへんやろ? 逆にうれしいんちゃう?」
 まあ、それは役得かもしれない。
「逆に混合レースの場合はちぃっと危ないかもしれへんけど。ま、うまいこといなすんは得意やろ?」
 危ないってなんだよ、危ないって。
「えー、女の子に言わせるつもり? ま、とにかくがんばってや。あ、それから、本来の龍ってのはでっかいから、向こうに着いたら巨大化魔法もかけなあかんねん。何せ走るんは2000kmらしいから。急ぐで〜」
 きろめーとるっ! 誰がそんなに走るんだよっ。
「そうそう、それから性別偽ってるのばれんように、ちゃんと女の子な受け答えできるようにしてな、クラウ」
「……ば、ばれたらまずいのか?」
「当たり前やん。男性が女性と偽って同じレースにでたら、ふつー失格やろ?」
 この場合、本当の龍ならそうかもしれないが、おれは龍じゃないし、そもそも龍じゃないのを龍に見せかけてレースに出してる方がばれたら失格じゃないのか?
「それに人気もなくなるし。どちらからも総スカン食らうんはいややろ?」
 ……頭痛くなってきた。
「主、そもそも俺ら、龍語はわからないと思うけど」
 ヴォルスングの的確なツッコミ。さすがだ。
「それもそっか。ま、そのうち覚えてちょうだい。とにかくレース前にケンカだけは御法度やからね。同じ厩舎内でもダメ。さっきみたいのもダメ。ええね?」
 なんか、先行き不安だ。生きて帰れるのかな、おれ。
*2 〜命の洗濯〜 ▲
 
「おめでとう〜」
 出走龍控え室に戻ったおれは、お祝いの言葉で迎えられた。
「いやー、すごかったねえ。あのラストスパート! ほれぼれしたよ」
 と声をかけてくれたのは、余所の牧場のコだ。えーと、確か名前は……バなんとかっていったかな。
 おれとしたことが、女の子の名前を忘れるなんて。……って、ま、ドラゴンだし。
 彼女は次のレースに兄弟と出るらしい。準備なんて何すりゃいいんだろうね、ってな話を出走前にしたんだよな。
「お……ありがと」
 男言葉になりかけるのを必死で押さえる。くっそう。主め。何が役得だよ。ドラゴンの控え室覗けたって嬉しいわけないだろ。
「次はき……あなたの番だわね。きっと勝てる……わよ」
 舌噛みそうだ。てか、こんなキャラクターにするんじゃなかった。彼女のほうがよっぽど男っぽいぞ。
「あは、ありがと。でもどうかなあ。今のところ牝はアタシだけだし。って、あんたも牝一人だったっけ。ま、やれるところまでやるだけだよ」
 扉が開いてどっとドラゴンが入ってきた。どうやら登竜レースのほうも終わったっぽい。
「あっちのレースも終わったみたいね。そろそろ覚悟決めて行くか〜」
 迎えの騎手に連れられて、彼女は出ていった。
「勝ったんだってな。おめでとう」
 気がつけばブリューナークが横にいた。
「おう……じゃなかった。ありがとう。まあ、とりあえずは役目果たしたってところかな」
 牧場やら何やらかかった費用はあらかた取り戻した計算だ。主も文句は言わないだろう。
「この後何かあるのか?」
「何かって?」
「優勝パレードとか」
「……するかよ」
 そろそろ魔法の効果が切れる頃だろうし(てか、いつまで魔法が効くか主もわかってないってのは怖いんだが……)、そうそうこんなところでのんびりしてるわけにもいかない。
「行くか?」
「もちろん。ヴォルが待ってる」
 
 控え室を出ると、ヴォルスングがちょうど牡の控え室から出てきたところだった。
「お疲れ。3着だって?」
「ああ、まあな。そっちこそお疲れ。3000kmだったんだろ? 優勝したって聞いたぞ」
「人数が少なかったからな」
 3匹しかいないレースだったから、全員が入賞できた。ま、ただそれだけだ。おれは運が良かったってだけで。
「早く行こう。主が待ってる」
「ああ、そうだった。クラウ、主から伝言でな。にんじん温泉で待つ、だそうだ」
「……ちゃんとドラゴンサイズだろうな?」
「さてね? 行ってみればわかるだろう」
 
 温泉はすぐに見つかった。あんなにでっかくにんじんの看板が立ってりゃ、いやでも目に入る。
「来たわね〜おつかれさん」
 主の声だ。
「おう、牧場代稼いできたぜ」
「レース見てたで〜。さすがやな〜。キャロリンとの相性もよかったみたいやし。うん、あっぱれあっぱれ」
「特別手当、忘れないでくださいね? 主」
 とこれはヴォルスング。さすがは抜け目ない。
「はいはい、約束やからね。さてと、ドラゴンサイズの温泉は右手にあるさかい、そっちでまずゆだってきてな〜。あ、他のドラゴンも来てるみたいやから、喧嘩せんようにな」
「魔法を解いてくれるんじゃないのか?」
 この姿で温泉に入ってもあまりくつろげない気がするんだが……。
「ん〜、魔法解いてもええけど、ドラゴンクラスの筋肉疲労が元のサイズに残るやろから、一ミリも指動かせない状態になるとおもうで?」
「……おい」
 ドラゴンクラスの筋肉疲労ってなんだよ。
「ま、てなわけで、まずはその姿でゆだっておいで。ピンク色にゆだってきたら、奥の扉開けて入って来てな。そうそう、それから、ドラゴンの湯は混浴やさかい、理性を失わんようにな」
「誰がドラゴンに欲情するかっ!」
 けらけら笑う主を尻目に、おれたちは指示されたとおりドラゴンサイズの温泉に向かうことにした。
 
 ふー。
 ドラゴンの姿とはいえ、やっぱり温泉は気持ちいい。レースの疲れがみるみる消えていくのがわかる。きっとそういう効果のある湯なんだろうなあ。
 え? 残り二人はどこに行ったかって? ……おれは馬に蹴られるほど野暮じゃないんでね。
 とはいえ、左手奥にはさっきのレースで戦った牡2匹がこっちをちらちら見てるし、微妙に居心地が悪い。絡まれないうちにゆであがってくれねぇかな。
「ねーちゃん、いい走りやったな」
 案の定、声をかけてきた。
「どうも」
 愛想笑いしながら。てか、ドラゴンに愛想笑いって通用するのか?
「あの走りっぷりに惚れたわ。おれっちとつきあわねえ?」
 てか、てめー、おれの尻ばっかり見てただろうが。そりゃ負けるわな。
「ごめんなさい、ステディがいますので……」
 あー、自分でも気色悪いぞ。てか早く魔法解け、主っ。
「つれないなあ。ま、そのうち気も変わるだろうよ」
 だーかーら、にじりよってくんなっ!
 くっそう、こんな時に限ってあの二人は見てないし。ヴォルがいりゃ話も早いんだが……って、あいつら、すでに奥にいっちまってる?
「ごめんなさい、人を待たせてますので」
 まるで状況を見計らったようにピンク色にゆであがる。てか、どっかで主、覗き見して楽しんでるんじゃないだろうなあ。
 なんとか振り切って扉を開ける。……と主が立っていた。
「ほい、おつかれさん。楽しんできてもよかったんやけど? それぐらい待ったげるよ?」
「やっぱし見てたか。悪趣味だぜ、主」
 気がつけば主の顔が近い。いつの間にか巨大化魔法は解けたようだ。
「後の二人は?」
「んー、もう魔法も解いて奥の露天風呂に行ってる。あんたが最後や」
 いくで、と言うやいなや、足下に魔法陣が出現。おれは濡れてたっぷり水を吸ったドラゴンの着ぐるみに押しつぶされた。
「お、重い……」
「その着ぐるみは置いてってな。次のレースまでに干しとかんとね。どうせドラゴンの湯でゆっくりでけへんかったんやろから、風呂で身体休めて行き。着替えは出口の更衣室に置いてあるさかい」
 もごもごしながらなんとか着ぐるみを脱ぐと、身体がずっしり重かった。あわててドラゴンの湯から上がったせいかもしれない。疲れがとれてなかったかな。
 それでもなんとか湯気の中を進んでいくと、広い露天風呂に行き当たった。……てか、足を滑らせた。
 どっぱーん。
「きゃっ」
 湯の中で確かに聞こえた気がした。
 あわてて顔を上げると……湯煙の向こう側、岩の向こう側に白い肌が覗いていた。
 他の人がいるなんて聞いてないぞ。
「あ、ご、ごめんなさい」
「あ、いや、こっちこそ。気がつかなくて」
 主たちの関係者じゃないな。声に聞き覚えがない。
「あ……の、温泉の……方、ですか?」
「えーっと……一応関係者、かな」
「ご、ごめんなさい。秘湯があるって聞いて、探してたんだけど、迷っちゃって……ここにたどり着いて……その秘湯かと思って……すみません。と、ところで、ここって、お、男湯、なんですか?」
「あー……いや、たぶん混浴……」
 息をのむ音がした。
 きっと何も隠すものを持ってないんだろう。少しだけ興味がわいた。少しだけか、とつっこまないように。
「まあ、気にしないでいいっすよ。動物やら魔法生物やらが来てる程度だろうし、おれも魔法生物だし」
「えっ」
「疲れをいやしに来てるのは一緒っすから」
 そう、すっげぇ疲れてる。なんか、どんどん疲れが出てくる。
「そう、ですね」
「よかったら、名前、教えてくれません? おれはクラウっていいます」
「あの、えと……アルヴィス、といいます」
「きれいな名前っすね」
 なんやかんや話しかけながら、おれは眠ってしまったらしい。
 
 誰かに殴られた。
 痛ぇ。何回も殴るな。
「ほれ、起きろ」
 揺さぶるな。首が痛い。
「いつまで寝てんの。まったく」
 主の声。反射的に飛び起きた。どーも、主の機嫌が悪いときの声は心臓に悪い。
「寝てねえっ」
 これまた反射で口答え。
「よかった……」
 ……へ?
「どうやら生きてるみたいやね。頭も動いてる?」
「当たり前だ」
 するといきなり殴られた。
「心配させんな、アホ。お前、湯船で寝こけて、おぼれてたんだぞ。このお嬢さんが大声で叫んでくれてなかったら、今頃あの世行きだったんだぞ」
 とヴォル。すぐ後ろには黒髪のきれいな子がバスタオル一枚でへたりこんでいた。
「えと……アルヴィスさん、だっけ」
「はい。……ほんと、びっくりしました」
「ごめん、心配かけた」
「まったくだ。だから、しっかり疲れ落とせって言ったのに」
「クラウたん、だいじょーぶ?」
 と、これは主の飼いハムスター、キャロ。相変わらず片手サイズだなあ。……って、そのお面はなんだ。
「おう、大丈夫」
「目が覚めたならさっさと湯船に戻るか、着替えなはれ。このお嬢さんが目のやり場に困ってるで」
「……………#$%&★!」
 湯船にどぼん。てか、なんでそーゆーところは気を回して隠してくれないんだよっ!
「ほんと、ありがとね。またいつでも来てちょうだい。ここは解放してるから。……まあ、混浴だけど」
 主、すこし鼻声。まじで心配かけちまったな。
「はい、ありがとうございます」
 これはアルヴィスって子だな。
 湯煙の向こうで、彼女のほほえみが見えた。
*3 〜控え室2〜 ▲
 
「よっ、あやめカップの優勝ドラゴン」
「うるさい」
 控え室に戻ったブリューナークをクラウが出迎える。
「ここでその話をするな」
「なんでだよ。他に誰もいねぇし。あの頼りなさそうな騎手、どうだった? お前のことだから、途中で振り落としたんじゃねぇかと思ってたんだけど」
「人をじゃじゃ馬みたいに言うな。別に――どうもないよ」
 それにどうやったって落ちないじゃないか、とブリューナークは不満げに言った。
「そりゃそうだろ。あのサイズの龍に乗って振り落とされたら、100%生きて帰れねぇもんな」
 ドラゴンの背に乗せられる騎手のために、ドラゴンには鞍が取り付けられていた。
 鞍、と言えば聞こえはいいが、要するに騎手を振り落とさないために開発された、鳥籠のようなものだ。
 すごいスピードで乱高下しながら荒れた空を飛び回るドラゴンを操る騎手のためのそれは、振り回されても振り落とされないよう、また騎手にかかるGを可能な限り緩和できるよう、精霊の力によって守られている。
 とはいえ、緩和されているだけで、騎手にかかる負担はやはり普通ではない。
 傍目からも頼りなさげに見えた騎手は、案の定、レース終了後ぶっ倒れた。
「腕のいい騎手だと主は吹いておったが、レースのことはろくに知らない風だったぞ。上昇中に舌を噛んでた」
「そうなのか? レースを見る限りじゃ采配は見事だったようだが」
「それはわたしの実力だ。奴のおかげではない」
 ブリューナークはきっぱり言いはなった。
「そうか? まあ、レースで勝ったおかげであちこちから引っ張りだこだそうだぜ」
「――あいつだけは願い下げだ」
「何かあったのか?」
 ブリューナークは拳を震わせた。
「――あいつ、乗ったとたんにわたしの年齢を聞いたんだぞ!」
 失礼な、と憤慨するブリューナークに、クラウは腹を抱えて笑い出した。
「うはははは。お前に年齢聞くなんて、いい度胸だ。で、報復とばかりにGかけまくったのか?」
「――そのくらいで済んでありがたいと思ってもらいたいな」
「まあ、確かに。あいつの優勝コメント聞いたか?」
「いや」
「『女の子はこりごり』だそうだ」
 青息吐息の奴にコメントを求めた記者も記者だ。
「まだ騎手やるつもりなのか。根性あるな」
「おいおい、そこまでいじめたのか?」
「別にいじめたつもりはない。ただ、ちょっと難しいコースだったってだけだ」
 ぶんむくれるなよ、とクラウは頭をこづいた。
「まあ、お前には二度と乗ってくれないだろうから、その点は安心していいんじゃないか?」
「当然だ。ところでヴォルは?」
「次のレースに出るってんであちらで準備中だぜ。最近すっかりドラゴンが板に付いてきたみたいでさ。
 はやいとここっちの姿をもらった方がいいのかもしれねぇな。あのままドラゴンになっちまいそうだぜ」
「それは――」
 ブリューナークは眉をひそめた。
「主のところに何人か新入りが来てるみたいだけど、ヴォルの器にはならないってんで、まだしばらくかかりそうだとさ。主をせっついておいたけどね。お前だってドラゴン姿のヴォルよか、前の姿のヴォルがいいだろう?」
「ちゃかすなっ」
 尻尾の一撃をお見舞い。クラウは身軽に避けた。
「おー、怖い怖い。おっと、これ以上はごめんだぜ。ヴォルもいないんだし、また火を吐かれちゃたまらねぇからな。そういえば知ってるか。何度か見かけたかわいいコがいきなり引退しててさ」
「ああ、聞いてるよ。すごくいい飛び方してた娘だろう?」
「そう。若いのにさ」
 レースに出るドラゴンの寿命は長くない。無理な調教や度重なるレースがドラゴンの寿命を縮めるのだ。
「あれだけのドラゴンだ、きっと大事にしてもらえるだろう」
 引退したドラゴンの行く末には二つある。強いドラゴンはその血筋を伝えるために繁用厩舎に入るか、自由を得るか。
「お前も今引退すれば種牡龍入りだろ。彼女と番いになるのも悪くないんじゃないか?」
 ブリューナークは意地悪そうに言った。
「ひでぇな。おれはあくまでもふつーの女の子が好きなんだ。ドラゴンじゃなくてな」
「この間の女の子みたいなのか?」
「まあな」
 クラウは少し照れたようだ。
「温泉でおぼれたときに助けてもらった子だっけ、確かア……」
「アルヴィス」
 でもなー、とクラウはうなだれた。
「あのあとさぁ、帝國であちこち探したんだよな。でも、見つけたのは男でさぁ……」
「まあ、どちらでもおかしくない名前だからな。よくあることだ」
「仕方がないから、暇なときはずっと温泉で待ってるんだけど、なかなか会えないんだよな。酒場のバイトもあるし」
「酒場では見かけないのか?」
「ああ。……まあ、まだ駆け出しの子なのかもしれないし、西方面は危険だからさ」
 それぐらい、おれが守ってやるのにさぁ、とぶつぶつつぶやく、クラウ。
「縁があればまた会えるだろうさ。さてと、帝國に戻るとするか。しばらくレースは休業だ」
「おう、じゃあまたな。おれはもうすこし温泉で休んでから行くよ」
「……そういえばさ」
 立ち去りかけたブリューナークは思い出したように立ち止まった。
「お前、向こうじゃ牝龍だったよな。引退してもやっぱり牝のまま、だよな?」
 種牡龍ではなく、繁用厩舎に入って子供を産む側になる。むしろ彼女と同じ立場だ。
「……いーやーだーっ!! ……お、おれ、引退しないっ! ぜったいしないっ!」
 控え室にクラウの叫び声がこだました。
*4 〜温泉にて〜 ▲
 
「なあ、おれらっていつまでこうやってりゃいいんだろうな」
 いつものようにトレーニングが終わり、温泉で骨休めしていたときだった。
 クラウ――クラウ・ソラスがそんなことを言い出したのは。
「いつまでって……そりゃ、引退までに決まってる」
 青い鱗をきらめかせながら、ブリューナーク――いつもナークって呼ぶんだが――があきれた口調で言った。
「い、引退……」
 クラウの顔がこころもち青くなったような気がした。ま、鱗に覆われてるから分かりゃしないんだが。
「そういえばそうだが、お前は十分賞金稼いだし、いつでも引退できるんだよな。いっそのこと繁用厩舎入りしちゃどうだい?」
「やめてくれよっ」
 両耳をふさぐまねをする、クラウ。こりゃ、どうやら主からも引退をせっつかれてるっぽいな。
「今だと、種龍は一人だけで、あとは全員女の子なんだろ? 彼女たちに話聞いて見りゃいいじゃないか」
「こ、このおれが男とまぐわうなんて……そんなことするぐらいなら今すぐ温泉でおぼれ死ぬっ」
 こいつはー……。主が苦労するわけだよな。
「なんだよ、奴は気に入らないのか?」
「そーゆー話じゃないとゆーとろーがっ!」
「あんた、わがまま」
 ナークの一言がぐさりと刺さったようだ。
「うるせぇ。女のお前にはわからねぇよ」
「好きでもない男の子供産むつらさもわかんないだろうね、あんたには」
 ナークの表情が硬い。
「ま、そもそも今のあたしじゃ引退したところで繁用厩舎にも入れないから関係ない話だけどさ」
「……お前、ひょっとしてヴォルの子供、産みたいのか?」
 クリティカルな一撃。ナークの尻尾がクラウを吹き飛ばした。
「う、うるさいわねっ。乙女が夢見てなにがわるいのよっ」
 ナークの全身がピンク色に染まった。もちろん、温泉の効果なんだが、なんて言うかタイミングが良すぎるよな。
「ま、そのためにはまず俺が勝たなきゃ意味がないんだけどな」
 ナークの頭を軽くこづく。
「もう元に戻る時間だろ。奥行けよ」
「ヴォル……」
「明日はお前もレースだろ。しっかり休め。お前にも勝ってもらわなくちゃな」
 ナークは小さくうなずくと奥の扉に進んでいった。
「なーにこっそり話してるんだよ」
 クラウが寄ってきた。奴もそろそろゆであがってきた。
「別に。……なあ、俺が引退したら、お前に種付けしてやろうか?」
「ば、ば、ば、馬鹿野郎っ! 男と寝る趣味はねぇんだよっ!」
「そうか? 結構まじめな話なんだが。追い込みが得意なお前と先行が得意な俺の特性を受け継いで、どちらにも秀でた龍が生まれるんじゃないかと思ったんだが」
「……お前、よくまじめにそんなこと考えられるよなあ。おれはいやだね。主の命令でもぜってぇいやだっ」
「どうせ逆らえやしないよ。ま、とにかく次のレースで勝たなきゃそもそも無理な話なんだけどな」
 クラウは大げさにため息をついた。
「引退しなくて済む方法を考えてほしいよ。まったく……お前はいいよな、性別がひっくり返ってなくて。……毎日つらいぜ。女の振りするのは」
 主のやることは時々意味がわからないが、本当に単純に間違えただけなんだろうなあ。
「気の毒だとは思うが……まあ、がんばってくれ。いずれは繁用厩舎で一緒になる子たちだろ? 仲良くなっておいて損はないだろう。じゃあ、俺はそろそろあがるぞ」
 ピンク色になった鱗に、俺は立ち上がった。
「勘弁してくれよ、その話は。とりあえず次のレースがんばれよ」
 おぼれるなよ、と釘をさすと、クラウは片手を上げて返してよこした。
 
 
 実の話をすれば。俺は最近向こうの世界に戻っていない。
 主が俺の器を探してくれていることは知っている。ただ、最近の新入りは女か人間でないものばかりで、数少ない男の器も俺の望む器ではない。
 それを気にしてくれたのか、龍の姿ではあれど実体でいられるこちらに長くいられるようにしてくれた。
 でも、長くいると龍に同化しちまうからたまには戻れって言われているんだが。
 この間本当に龍の器を持ってきたときにはどうしようかと思ったけどな。……でもやっぱり、俺は人型でいたい。わがままなのかもしれないけど。
「ヴォル」
 人間サイズに縮まった龍姿の俺に声をかけてくれたのはもちろんナークだ。すでに普段の姿に戻っている。
「気にするなよ。あいつの軽口はいつものことだ。許してやれ」
「うん」
「そういえばさ、次のレース。お前が前に乗せたあの優男が乗るんだぜ」
 微妙な雰囲気の時には話をそらすのが一番だ。
「優男って……あの?」
「そう。あの。牝龍が苦手になっちまった反動かしらないが、牡龍に乗ると抜群の綱さばきをみせるらしくてな。主が気に入って今回も雇ったんだ。まあ、訓練ではいい感じだったから、勝てるかもしれないな」
「ヴォルならきっと大丈夫だよ。こっちも腕のいい騎手らしいから、勝てそうな気がする」
「二人とも勝ったらさ」
 龍の着ぐるみから憑依を解く。触れない手を伸ばして、ナークの頬をとらえた。
「ヴォル……?」
「主にお願いして、引退させてもらおう。厩舎に二人の新居を造ってもらって、そこで暮らそう。俺の器が見つかるまで、そこでなら、一緒にいられる」
 触れない唇を重ねる。
「ヴォル……それって、プロポーズ……?」
「それ以外の何に聞こえる?」
 泣き出したナークを抱きしめられない腕で抱きしめながら、俺はいろいろな決心をしていた。
*5 〜平穏な日々〜 ▲
 
「で?」
 目の前にいる三人を交互に眺めながら、あたしは言った。
「決まったの?」
「はい」
 三人の中で最も頭の切れるのがうなずいた。
「俺は、ナークと一緒にいたい。だから、種牡龍になってもいい」
「それがどういう意味かわかってんの?」
 本来の姿を捨てること。
「分かっている。だが……主を責めるつもりはないが、いつまでもかりそめの姿でいるわけにはいかない。幸いなことにドラゴンの姿なら、俺の居場所はできた。だから、ナークとともに引退して、今後は引退龍として、命を全うしたい」
「わたしが勝てばよかったんだが……」
 ナーク――ブリューナークが最後のレースで勝てなかったことを悔やんでいるのは知ってた。
 勝っていれば、種牡龍として残ることもできたし、あたしもそのつもりでいた。――んだけど、レースには魔物がいる。
「ブリューナークもそれでいいの?」
 彼女はうなずいた。
「レースに負けたのはわたしの責任だ。種牡龍として残れなくても、龍のまま残りたい。ヴォルと約束したことだ」
「おれもさ」
 クラウが横から口を出す。
「この二人が引退するんなら、おれも引退しよっかなって思ってさ。ほら、最初からずっと一緒に飛んできた仲間だし。あ、でもおれは龍にならないよ。女の姿で女口説いたってつまんないしな」」
 一番のお調子者らしいわ。
「クラウの引退はわかった。二人の引退の話も。でも、龍のままがいいって、本気で言ってる? あとで戻してくれって言われても無理なんだよ?」
「分かってるし覚悟もできている」
 力強くうなずくヴォルの向こう側が透けて見える。
「レースドラゴンの寿命が極端に短い話も聞いた。それでも、俺はナークと一緒にいたい。最後まで」
「ヴォル……」
 おーおー。人の気も知らないで、目の前でいちゃついてんじゃないわよ。
 あたしはため息をついて見せた。
「なら一緒にいればいいじゃない。今のままで」
「今のままじゃ! ……今のままじゃ、触れることもできない。ドラゴンの姿なら、種族や姿形の差を気にせずに触れあえる」
「ふぅん。……そっか。ここしばらくのあたしの努力も水の泡、か」
「あ、主には感謝しています。でも……」
「そっかー。まあ、仕方がないねえ。あんたたちが決めたことじゃ、あたしの口出す隙間はない」
「すみません」
 こんなにしおらしいヴォルを見るのは初めてかもね。まあ、きっと最初で最後だろうけれど。
「仕方ないから、器は他の子に回すことにするわ」
「申し訳ありません。器は他の仲間に――」
 深々と下げる、ヴォル。
「……器?」
 一緒に頭を下げていたブリューナークがつぶやいた。
「そ、器。でも、もういらないんでしょ?」
「あ、主……」
「そんなこと一言も……」
 三人の反応にあたしはにやっと笑った。うんうん、予想通りだ。なんて素直なんだろうねえ、この子たちは。
「だって、誰も聞かなかったし。まあ、今日ようやく手に入れたばかりなんだけどさ」
「どうする? ヴォル」
 クラウの罵詈雑言を無視して、あたしは続けた。
「あんたにぴったりの器を探すのは骨が折れたよ。まあ、その代わり何の能力もない、弱い器だけどね。あんたが決めな。器を手にして、こちらの世界の一員となるか、ドラゴンの世界で名誉ある龍でありつづけるか。器を手に入れても、引退後も好きなときにドラゴンの姿になることはできる。望み通り、ブリューナークとの子をもうけることもできるだろう。ただし、レースドラゴンとしては生きられないけどね。さあ、どうする?」
「それだけどさ」
 クラウが口を挟んだ。
「おれの代わりにブリューナークがこの着ぐるみ着りゃいいんじゃねえ?」
「なっ……」
「それは……うーん……まあ、引退後なら、それほど他の龍と顔を合わせることもないか。うん、いい手じゃない? クラウはオスに迫られずに済むし、ブリューナークは相手を選べる立場だから、ヴォルを選べばいい。時々ヴォルが別の厩舎の子に呼ばれるのさえブリューナークが目を瞑れば」
「おれってばあったまいー」
 はいはい。今回に限って言えば、いい提案だわ。
「……わかった。わたしはそれでいい」
「ナーク」
「あとはヴォルの決断に従う」
「じゃあ……いいんだな。……器があるのなら、そしてもらえるのなら、その姿でこの世界に降り立ちたい。俺はまだ、この世界を見ていない。クラウやナークが見ているこの世界を、この目で見たい。誰かの目を借りるのでなく、記憶を共有するのでなく」
「はい、決定ね。じゃ、あんたたちの望むとおりにするわ。引退の手続きも進めておく。牧場に繁用厩舎も種牡龍用の厩舎もつくらなきゃ。あんたたちは先に牧場に行ってなさい。引退セレモニーしなくちゃ」
 ま、予想通りの結末だわね。あたしの苦労も報われるってもんだわ。
「あ、そうそう」
 部屋を去りかけた三人――もとい、二人と一匹を呼び止める。
「ヴォル、ナーク、子供の名前、考えておいてね」
 真っ赤になるナーク、にやにやしはじめるクラウ、茫然自失のヴォル。
 閉じた扉の向こうが急に賑やかになった。
 
 
 
 
 
 
 
 

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